エンターキーを押すと、ナビゲーション部分をスキップし本文へ移動します。

  • ホーム
  • くらしの情報
  • 各務原の魅力
  • イベント
  • 市政情報
  • 事業者の方

現在の位置 : ホーム各務原市歴史民俗資料館 › 戦争遺跡1


ここから本文です。

戦争遺跡1

ID番号 K1686更新日 平成25年2月12日

 陸軍飛行場など軍事施設をかかえていた各務原は、県内で唯一大型爆弾による攻撃を受けました。今もなお各地で「戦争の爪痕」を見ることができます。主な戦争遺跡をここに紹介しましたが、その多くは個人の所有地にあります。見学の際は、土地所有者の了解を得てマナーをよく守るとともに、安全には十分ご留意ください。

那加地区

空襲で焼けたキササゲ

空襲で焼けたキササゲの写真

所在地:各務原市那加門前町3丁目 市民運動公園駐車場内

 樹高約10メートル、根回り3.5メートル。この場所はもともと青年学校教員養成所でしたが、昭和20(西暦1945)年当時は、航空廠が校舎を借り受け、工場として使用していました。この建物が、昭和20年7月12日の夜、B29による焼夷弾攻撃を受け、校舎の西側にあったキササゲの樹皮が焼けました。樹皮には焼けた跡が残りましたが、このキササゲは毎年青い葉を繁らせて、今もなお生き続けています。

手作りの空襲記念碑

手作りの空襲記念碑の写真

所在地:各務原市那加本町 秋葉神社内

 碑には「那加町戦災思い出の日 昭和二十年六月二十二日午前九時四十分」と刻まれ、側面には「今尾義祐之立」とあります。昭和20(西暦1945)年6月22日の朝9時過ぎ、那加駅前の市街地に十数個の大型爆弾が投下され、那加町全体で48名の方が亡くなりました。この碑は、那加駅前の自宅で空襲に遭った今尾義祐氏が、犠牲者への思いをこめて、コツコツと刻んだ自作の碑です。

蘇原地区

爆撃で欠けた灯籠

爆撃で欠けた灯籠の写真

所在地:各務原市蘇原興亜町四丁目 八幡神社内

 八幡神社は旧野村地内にありましたが、飛行場拡張のため、昭和15(西暦1940)年7月15日この場所に移されました。八幡神社は川崎航空機に隣接していたため、昭和20(西暦1945)年6月22日の爆撃の影響を直接受けました。空襲後、爆風で灯籠は倒れ、鳥居には無数の鉄片がつき刺さっていたといいます。現在も欠けたままの灯籠や狛犬、社標柱、記念碑が、当時の空襲の恐ろしさを物語っています。

弾痕が残る航空廠のコンクリート塀

弾痕が残る航空廠のコンクリート塀の写真

所在地:各務原市蘇原三柿野町1丁目 国道21号線跨線橋下南辺り(航空自衛隊岐阜基地内)

 昭和20(西暦1945)年6月22日の大空襲では、1トン爆弾が投下され、航空廠や川崎航空機工業などが徹底的に破壊されました。空襲の後、航空廠のコンクリート塀には無数の弾痕があったといいます。塀の老朽化の為、一部を残し撤去されました。

防空壕

防空壕の写真

所在地:各務原市蘇原持田町1丁目(私有地)

 間口1.3メートル、高さ1.6メートルで、中は4カ所に枝分かれしており、間口から一番奥までは約11メートルあります。この防空壕は、昭和17(西暦1942)年頃作られたもので、近所の家数軒が避難できる共同の防空壕となっていました。現在は、安全に配慮して、入口が塞がれています。

このページに関するお問い合わせ

歴史民俗資料館
電話:058-379-5055
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。