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きらきらマガジン キラリさん

永井香代子さん
山田喜芳さん(64)


子どものころから色弱で23歳のとき原因不明の病で全盲となる。そのときの治療の副作用で人工透析が必要に。盲学校卒業後、指圧を勉強し、国家試験で資格を取得。現在、那加住吉町で指圧院を営む。趣味は株とカラオケ。


いろいろあるけどそうたいしたことないです

とにかく前向きな山田さん。生い立ちから今までのお話も全て快く語ってくれました。
お宅にお伺いしてお話を聞いていると証券会社から電話が…。

指圧中の山田さん

指圧中の山田さん

――株が趣味なんですか?
そうなんです。株はおもしろいねー。売ったり、買ったり。タンパ(ラジオ)を聞きながら電話で証券会社の人とやり取りしてます。自分の見込んだ株が上がるとすごく楽しい。

――どうして株をはじめたんですか?
もともと、色弱でね。でも普通の高校に通っていたんですよ。そこで大手の会社に推薦で就職も決まって。その会社に入るためにがんばっていたので「やった!」と思いました。でも後日先生から「あそこの会社は目の弱い人はだめだから諦めてくれ」と言われて。それはショックでね…。1ヶ月くらい悩んで、ノート1冊くらいに心の葛藤を書きなぐりました。そこで私が出した結論は「よし、俺は社会に出たら、その(就職を断られた)会社の株を買い占めて大株主になってやる!」

――大株主ですか?すごい。壮大な夢ですね。
そう。でもそう考えて、別の会社に勤めていたら、23歳のとき突然失明したの。朝、起きたら片目が真っ暗でね。びっくりした。その時は残念な気持ちでいっぱいだったねー。

――残念、ですか?
うん。まだやりたいことがたくさんあったのに残念だなー、と思った。

――悲しくなかったんですか?
悲しくはないねぇ。ただ残念なだけ。そこで治療のときに大量にステロイド使ってね。ステロイドは強い薬だから、病院にいる時は少しは見えたんだけど退院したら、今度は腎臓が悪くなって。それで透析が必要になったんだ。

――・・・なんか、壮絶な人生ですね。
そうやねぇ〜。でも人間は強く出来てるから。どうやって食べていこう、とは思ったけど。目が見えなくなって、すぐ盲学校に行って、指圧の国家資格をとったら先が見えてきて落ち着きました。最後は「生活」だからね。それに盲学校は同じような友達がたくさんいたし。盲人はね、よくしゃべるの。口しかないからホントよくしゃべる。盲学校のグランドなんかぴーちくぱーちくやかましいの(笑)でも、楽しかったね。寮生活で助け合って生活したよ。点字も覚えて、いろんなことをもう少し勉強したいと思ってたし。普通に勤めていたらこんな風に株も出来ないしね。

――ほんとに前向きですねー。
愚痴ってられないからねぇ。地獄から這いずりだして天国に来たって感じ。目が悪くても死ぬわけにいかないもの。子どももいたし。神ざらい、医者ざらいもしたけど、もういいかって思って。透析もね、始めたころは「あと5年の寿命」っていわれてたんだよ。でも、(子どもが小学生に上がるまではなんとかがんばろう)、と思ってたの。そしたら「あと10年はいけるらしい」って変わってきてね。透析の機械が改良されてどんどん寿命が延びたの。

――すごい!良かったですねー。
うん。でも、そのころのもう友達もあんまり残ってないねぇ。私はねぇ、三つの世界を見れてよかったな、と思ってるんですよ。

お客さんとの会話も弾みます

お客さんとの会話も弾みます

――三つの世界?
そう。普通の(目が見える)世界と、盲人の世界と、透析の世界。我ながらおもしろい人生だなー、と思いますよ。
目が見えないとか、透析してる、っていうのは不自由には違いないけど、精神的にはそうたいしたことないよ。苦しんだほうが得だと思うし。
ここ(指圧院)に来るお客さんからいろいろ相談されるけど、私より悩んでる人はいっぱいいるね。


――いろいろ悩んでいる人は多いですよね。どうすれば山田さんのように前向きに過ごすことができるんだろう。
病の多くは体表に現れるんです。だから、家にじっとしてないで、とにかく歩くのが一番いいと思うよ。足の裏にはいろいろなつぼがあるからね。そこを刺激する。あとは、筋肉をつけること。筋肉がないと気力がなくなるでね。これがないと仕事もできないからね。

 

●取材を終えて
山田さんは、状況がどうなろうとすごく前向き。その人生観にはとても心を打たれ、取材させていただいたこちらが元気をもらいました。
  山田さん、本当にどうもありがとうございました。
   
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