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菊池剛聡さん
九州出身。5歳のとき、はしかにかかり、脳炎を併発。一時は植物状態となるが回復。足が不自由となる。その後、高校入学のため上京、大学へ入学する。卒業後、アメリカへ留学。キリスト教と出会い、洗礼を受ける。アメリカで牧師の資格を取得し、帰国した。
現在、身障手帳2級。 |
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――菊池さんは車いすにのってみえますがそれはいつからですか?
5歳のときはしかにかかって、その時、脳炎も併発したんです。それで植物状態になって。 |
――植物人間ですか?それで?
1カ月くらいしたら突然言葉をしゃべり出したらしいです。足が悪いのはそのときからですね。普段は杖を使って歩くこともできます。 |
――各務原市にはいつからお住まいなんですか?
7年前からです。仕事で赴任先がこちらになりまして。小中は九州でした。高校から大学までは東京で、叔父の家に下宿していました。そこで叔父の知り合いのアメリカの方から英語を教わっていたんです。その方から進められてアメリカの大学院で商学科へ入学しました。アメリカは暮らしやすかったですね。 |
――日本より?
ええ。日常生活がしやすいんです。例えば、私は車で外出するんですが、日本の身障者用駐車場は普通の人の車が留めてあることが多いんですよ。アメリカではそこに留めるには許可書がいるんです。もし、普通の人が留めていたことが分かると多額の罰金がかかるんです。ほかにはアメリカでバスを待っていると他の人がみんな順番を譲ってくれて、最前列ですぐにバスに乗ることができたり。 |
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――そうですか。それで商学科の勉強をしてみえたんですよね?
ええ、でもねぇー…。アメリカの大学院では生徒同士で議論するんですが、専門用語も多くて何をいっているのかさっぱりわからないんですよ。試験も難しくて、ひどい点数をとってましたね。それでふとしたきっかけで教会に行くようになりまして。それから聖書の勉強をして、牧師になりました。 |
――ふとしたきっかけ?
はは。向こうはごはんがおいしくないんですよ。パスタだと、茹ですぎて麺がのびて、水切りしてないようなものがどーん、とテーブルに出てくるんです。ソースもどーんと出てきて、自分で掛けて食べるんですがそれが…。お肉も、いいものは美味しいでしょうが、私が食べた肉は硬くてゴムみたいなんです。かみきれないんですよ。あとはごはんに砂糖とミルクをかけて食べたり…。そんな時、知り合いに「教会に行くと日本食が食べられるよ」と誘われて、行っていたんです。それがきっかけです。 |
――へぇー。食は大切ですねー。
そうですねー。そのおかげで教会に興味をもちましたから。牧師は天職だと思っています。私は人の話を聞くのが好きなんです。聞いているときについつい自分の意見を言いたくなりますけど、否定しないで聞くことが大切です。それは養われたことだと思います。 |
――足が不自由だったからこそ、ということですか?
ええ。牧師をやっていると、自分は「生きているのではなく、生かされているのだ」と思います。まぁ5歳のころの病気を考えると生きているのが奇跡ですからね。今は自殺する人が多いけど、もったいないなぁーと思いますよ。視野を広くするといいんです。
私も小中学校は、体が不自由という理由でからかわれました。恰好のターゲットになりますからね。その悔しい気持ちをばねにして前進していました。でもそれだと疲れるんですよ。確かに爆発的なエネルギーにはなりますけど、心が平穏ではない。自分や周りに対する怒りでいっぱいでした。それが渡米していろいろな人の心の温かさに触れて、こんな人になれたらいいなー、と思って牧師の道を目指したんです。徐々に心が穏やかになりました。
この間も「身内の人を亡くして、自分も生きる気力がない」という電話があったんです。話を聞いてあげて、それからはメールでやり取りをしました。その時ちょうど身内を亡くした人の集まりがありまして、それをその方に紹介してあげたんです。その後「つらいのは自分だけではないということが分かりました」と返事が来ました。 |
――すごいですね!
言葉は大切だと思いました。言った一言で傷つけるけど。 |
――救えることもできる、と?
そうですね。私は落ち込んだとき思い出す言葉は「すべての事が相働いて益となる」なんです。すべては最善のために起きるんです。私は足が悪いことにかえって感謝しているくらい。もし健常者だったらアメリカどころが東京にも行ってないと思いますよ。文字通り「益」になっています。 |
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