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きらきらマガジン キラリさん

川上眞吾さん

川上眞吾さん

63歳 蘇原大島町在住

幼いころ左足にやけどを負い、障害を持つ。現在は障害の具合も改善され、障害6級を持つ。

若い人もいろいろな行事にどんどん参加して欲しいです!

 5月9日に本巣市で行われる岐阜地区身体障がい者体育大会。障がいを持つ方だけでなく応援者や家族も一緒に楽しめる大会です。
 今回はその大会に出場される川上さんにお話をうかがいました。


―― 川上さんはどんな種目に出場されるのですか。

 私は立ち幅跳びと砲丸投げに出場します。私は現在63歳ですが、30年前の宮崎で行われた身体障害者スポーツ国体にも出場しました。そのときは立ち幅飛びで2位、投てきで金メダルを取りました。


―― すごいですね。昔から陸上をやってみえたんですか?

 いえいえ。スポーツは全般に好きで、野球、テニス、卓球などいろいろやっていました。


―― 川上さんの障がいはどんな感じですか?
たち幅跳びをする川上さん 私は小学生のときにやけどで左足が不自由になって、それから、車いす、歩行器、中学生のころには急ぐ時だけは松葉杖になりました。その間に何度も手術を受けましたが、医療技術が進歩してどんどん障がいの程度も軽くなりました。手術は当初の成功率は20パーセント程度だったのですが、平成元年には100パーセントに近い成功率になりました。それで随分よくなったんです。絶対良くなると信じていましたよ。

―― 障がいの状態はどんな状況だったのです?

 私は小学生のときにやけどで左足が不自由になって、それから、車いす、歩行器、中学生のころには急ぐ時だけは松葉杖になりました。その間に何度も手術を受けましたが、医療技術が進歩してどんどん障がいの程度も軽くなりました。手術は当初の成功率は20パーセント程度だったのですが、平成元年には100パーセントに近い成功率になりました。それで随分よくなったんです。絶対良くなると信じていましたよ。


―― そうですか。それは良かったですね。

 医療を受けながら勉強をして高校に通い、就職しました。
 その当時、岐阜はソフトボールが盛んだったので、社会人になってからはソフトもやりました。コーチ兼選手として出場していたのですが、昔は多くの若い人たちが、こういう大会に参加していたんですよ。ソフトボールチームも2チームくらいできて、都市対抗でも優勝していたんです。障がいを持っていることを隠したがる人が多くて、そういう人にも「スポーツは面白からやってみよう」と誘って参加を促しました。やっぱりみんな楽しそうにやっていましたよ。


―― いまはどうなんでしょう?

 今は残念ながら参加者が減っていますね。昔はいろいろな障がいをもった方がみんな一緒にスポーツをやっていたんですよ。でも分かれて活動するようになって、参加する人は減りましたね。


―― ちょっと寂しいですね。

 はい。私たち障がいをもつ者の利便性を保つには、活動あってこそなんです。そのためにも組織は保たないといけないと考えます。だから一人でも多くの人に組織に加入してほしいです。


―― では今後の抱負を聞かせてください。

 現在、身体障害者相談員としてがんばっています。1人でも多くの人にいろいろな事業に参加してほしいと思います。詳しくは川上・電話058-383-8705までご連絡ください。


川上さん、いろいろ話していただいて、ありがとうございました。
 
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