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展示物

ID番号 K784更新日 平成30年8月21日


歴史ギャラリーの様子

市指定重要文化財の三角縁波紋帯四神二獣鏡の複製品を展示しています。

この他にも市内より出土した豊富な遺物の中から厳選して展示し、各務原の歴史を紹介していきます。

国指定重要文化財 山田寺塔心礎納置銅壺(複製)   ◆山田寺跡

山田寺跡出土 舎利容器

山田寺塔心礎納置銅壺は、古代山田寺の創建された7世紀にもたらされたものと思われる舎利容器(釈迦の遺骨や遺灰を納める容器)です。明治時代に付近を開墾した際に古代山田寺の塔心礎石が発見され、その上面に開けられた穴に埋め込まれていたと伝えられます。銅壺本体は上半分が蓋となっている碗で、蓋には宝珠型のつまみ、本体には高台が付き、丸みを帯びていますが安定した形状をしています。材質は銅と錫などの合金製、碗の内側は現在でも黄銅色の輝きを保っています。

※現在は1/40村国座模型を特別公開中につき、一時的に展示を中止しています。

市指定重要文化財 三角縁波紋帯四神二獣鏡(複製)   ◆一輪山古墳

一輪山古墳出土 三角縁波紋帯四神二獣鏡

三角縁神獣鏡とは、周縁部の断面形が三角形を成し、裏面に神像と霊獣がモチーフとされた銅鏡の総称です。市内鵜沼地区の一輪山古墳から出土しています。この古墳は4世紀前半の築造と推定されており、直径約9mの円墳と伝えられています。昭和の初めころに付近の開墾によって消滅してしまいましたが、その時発見された鏡は大切に保管されていました。

《常設展示》

旧石器時代

宮塚遺跡出土 石器類
宮塚遺跡出土 石器類

約3万年前に始まる日本列島最古の時代です。まだ土器を持たず、道具には石器や骨角器、木器を用いました。人々は狩猟・採集で食料を獲得しつつ、河川流域などを頻繁に移住しました。住居は山地の岩陰など痕跡が残らないほど簡易なものでした。

◆桐野遺跡

  • 石器(ナイフ形石器、石核、剥片)

◆宮塚遺跡

  • 石器(彫刻刀形石器、石核、剥片)

◆六軒遺跡

  • 石器(槍先形尖頭器、スクレイパー)

縄文時代

炉畑遺跡出土 深鉢形土器
炉畑遺跡出土 深鉢形土器

今から約1万数千年前、縄文時代が始まると初めて土器が発明され、煮炊きの調理ができるようになりました。人々は主にドングリなどの落葉広葉樹の実などを食料とし、狩猟具には弓矢が登場しました。縄文時代初めの人々は移住生活でしたが、やがて集団で生活するようになり、竪穴式住居によるムラが形成されるようになりました。

◆炉畑遺跡

  • 石器(石鏃、石匙、石錘、有孔石器、耳栓、土偶)
  • 縄文土器(吊手形土器、深鉢形土器)

弥生時代

鵜沼古市場遺跡出土 壺
鵜沼古市場遺跡出土 壺

大陸から稲作が伝えられ、農業を中心とした社会へ大きく移り変わっていく時代です。食料の備蓄が可能になり、備蓄用の倉庫として掘立柱建物がつくられるようになりました。大陸から金属が伝わると、鍬や鋤などの刃先を鉄製にして農業が発展しました。一方で社会集団同士の紛争も始まり、金属は農具だけでなく戦闘用の武器としても使われるようになりました。

◆宮塚遺跡

  • 石器(石鏃、太型蛤刃石斧、スクレイパー)
  • 弥生土器(遠賀川系土器、条痕文系土器)

◆鵜沼古市場遺跡

  • 弥生土器(台付甕、小型壺、壺)

古墳時代

熊田山北古墳群出土 勾玉・丸玉
熊田山北古墳群出土 勾玉・丸玉

富と権力を象徴する古墳が造られた時代です。大王(天皇)と有力氏族が成立させたヤマト政権は、地方を従えて大きな政治連合を築きました。その証が九州から東北地方に分布する前方後円墳です。各務原市では、4世紀に那加柄山町に最初の前方後円墳(柄山古墳)が造られて以降、那加地区と鵜沼地区に全長数十m~百mに及ぶ巨大な古墳が出現しました。その後6世紀から7世紀の前半までに、市内のほぼ全域で小型の円墳を中心に約600基の古墳が造られました。

◆熊田山北古墳群

  • 勾玉、管玉
  • 須恵器(坏身、坏蓋、広口壺、ハソウ、甕)
  • 土師器(甕)

◆半の木洞古墳

  • 管玉、丸玉、ハマグリ
  • 須恵器(坏身、坏蓋、有蓋高坏、無蓋高坏、脚付有蓋短頸壺、有蓋短頸壺、直口壺)
  • 土師器(甕)

◆天狗谷古墳群

  • 須恵器(坏身、坏蓋、高坏、平瓶)

飛鳥・白鳳時代

山田寺出土 軒丸瓦
山田寺出土 軒丸瓦

飛鳥に宮・都が置かれていた6世紀の終わり頃からを飛鳥時代、大化の改新(645年)からを白鳳時代といいます。この時代には大陸から仏教が伝来し、7世紀頃から全国に寺院が造られていきます。各務原市では蘇原中央部を中心に古代寺院が建立されました。寺院は、それまでの古墳に代わる権力の象徴でもありました。一説によると672年に起きた壬申の乱で手柄を立てた豪族たちが、朝廷からの褒美として寺院を造るための資材や技術を手に入れたといいます。

◆山田寺跡

  • 須恵器(無台坏(灯明皿2点)、火舎(かしゃ)、仏鉢)
  • 軒丸瓦(美濃山田式1型式、美濃山田式2型式、美濃山田式3型式、各務細弁1型式、各務単弁1型式)
  • 軒平瓦(朱引き線)

◆野口廃寺

  • 瓦塔3点
  • 須恵器(有台坏(墨書土器)、盤、鉢、仏鉢、水瓶)
  • 軒丸瓦(複弁蓮華文軒丸瓦)
  • 軒平瓦(四重弧軒平瓦)
  • 平瓦

奈良・平安時代

広畑野口遺跡出土 須恵器 無台坏(美濃国刻印)
広畑野口遺跡出土 須恵器 無台坏(美濃国刻印)

奈良時代には、天皇中心の中央集権的な国家のしくみである律令制度が整えられました。平安時代になると大陸との交流が少なくなったため、日本独自の国風文化が発展しました。美濃国各務郡では6世紀に始まる焼き物生産が盛んとなり、美濃須衛古窯跡群が確立しました。また、律令制度の普及に伴い郡衙(ぐんが:役所)や古代寺院が次々と造られ、東山道を通じて中央との人や物の交流が盛んにおこなわれるようになりました。

◆広畑野口遺跡

  ●須恵器(坏身、坏蓋、無台坏(美濃国刻印)、台付盤、広口鉢、短頸壺、甕)
  ●土師器(皿)

〈美濃須衛古窯跡群〉みのすえこようせきぐん

各務原市の北部山地全域から関市の南部、岐阜市の東部に広がる東海地方でも有数の古窯跡群で、各務原市の須衛地区にその分布が集中していることから、美濃須衛古窯跡群と呼ばれます。6世紀後半から7世紀初め頃より須恵器窯がつくられたとされます。須恵器の生産は8世紀前半にピークを迎え徐々に生産は減少、その後、尾張の生産地から影響を受けた灰釉陶器、無釉の山茶碗などの生産を続けた後、焼き物の生産地は東濃や瀬戸に移っていき、中世の半ばには生産を終了したと考えられています。

◆蘇原中屋敷1号窯

  • 須恵器(坏身、坏蓋、鉢)

◆須衛市立南1号窯

  • 須恵器(坏身、坏蓋、台付碗、平瓶)

◆那加尾崎大平1・2号窯

  • 須恵器(坏身、坏蓋、高坏、台付碗、台付盤、平瓶)

◆地獄洞1号窯

  • 須恵器(平瓶、甑)

◆太田古窯

  • 須恵器(坏身、坏蓋、高坏、無台坏(美濃国刻印)、長頸瓶)

◆天狗谷6・7号窯

  • 須恵器(坏身、坏蓋、高坏、台付盤、甕)

◆稲田山1・2号窯

  • 須恵器(坏身、台付盤、長頸瓶、平瓶、あて具、大甕)

◆御坊山南1・7号窯

  • 灰釉陶器(碗、皿、瓶)

◆天狗谷1号窯

  • 灰釉陶器(碗、皿)

 

中世

承国寺遺跡出土 古瀬戸(天目茶碗)
承国寺遺跡出土 古瀬戸(天目茶碗)

平安時代の天皇・貴族中心の政治体制から、武士の支配による武家政権に移り変わった時代を中世といいます。特に東山道の駅や市場(宇留間市)などがあったとされる鵜沼古市場町から南町周辺に、中世遺跡が集中しています。市内の中世遺跡からは、一般庶民が使った無釉の山茶碗と呼ばれる陶器が方々で出土するほか、上流階級を中心に広まった喫茶の習慣を反映して、お茶を飲む器として瀬戸で焼かれた「天目茶碗」も多く出土しています。

◆承国寺遺跡

  • 山茶碗
  • 土師質皿(墨書)
  • 古瀬戸(天目茶碗、擂鉢)
  • 美濃陶器(徳利)

◆鵜沼古市場遺跡

  • 古銭

近世

徳山更木陣屋跡出土 徳山家家紋入壁掛花瓶
徳山更木陣屋跡出土 徳山家家紋入壁掛花瓶

各務原市域は、主に北西部を旗本徳山氏、南西部を旗本坪内氏が支配しました。東西には中山道が整備され、東端に鵜沼宿、西端には新加納立場が位置します。旗本徳山氏は、岐阜県西部の大野郡徳山出身で、関ケ原の合戦では東軍について戦功をあげ、旗本に命ぜられた武士の一族です。合戦後に新たに各務郡に知行地を得た徳山氏は、西市場村(現在の那加西市場町)に陣屋を構え、明治維新まで周辺の知行地支配や管理にあたりました。

◆旗本徳山更木陣屋跡

  • 徳山家家紋入瓦、徳山家家紋入壁掛花瓶
  • 瀬戸美濃陶器(燈明皿、仏花瓶、擂鉢)
  • 肥前陶器(染付神酒徳利、染付瓶子)
  • 常滑陶器(甕)

このページに関するお問い合わせ

埋蔵文化財調査センター
各務原市那加門前町3丁目1-3 中央図書館3階
電話:058-383-1123
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