今から400年前に江戸時代が始まると、日本全国に江戸(現在の東京)と各地をむすぶ「街道」が作られました。「東海道」や「中山道」、「甲州街道」など5つあったことから、「五街道」と呼ばれています。街道には、距離の目印となる「一里塚」※や、休憩や宿泊、荷物の運送などを行う「宿場」がつくられました。
鵜沼宿のような宿場町は、参勤交代※で通る大名行列から旅人まで、とても多くの人々が通りました。当時はもちろん車や電車はなく、旅人はみんな馬か徒歩。そのため、休憩する場所や泊まる場所、疲れた馬を交換する場所など、さまざまな施設がありました。 鵜沼宿の建物は、明治時代の大地震によりほとんどが壊れてしまいましたが、江戸時代から残る建物や、古文書などの資料を元に新しく復元した場所など、今も江戸時代のおもかげを見ることができます。
江戸時代、全国の大名は、1年おきに将軍がいる江戸へ行き、1年間江戸で過ごすことが決められていました。これを参勤交代といい、江戸への往復は大名とその家来が並んで歩く「大名行列」が宿場を通っていきました。 鵜沼宿がある中山道は、加賀藩や加納藩、彦根藩などの大名が利用していました。
大名や役人など、本陣だけでは泊まりきれない場合などに利用された場所。本陣と異なり、通常は一般の旅人も泊まることができました。鵜沼宿の脇本陣はこの春復元され、見学することができます。詳しくは次のページで紹介しています。
旅人が泊まる場所です。泊まるだけで食事の出なかった「木賃宿(きちんやど)」とは違い、朝食と夕食が出されました。鵜沼宿には25軒ほどの旅籠があったとされ、鵜沼西町の梅田家には、当時、旅籠「茗荷屋(みょうがや)」だった頃の看板などが今も残っています。 また、中山道鵜沼宿町屋館は江戸時代に「絹屋(きぬや)」という旅籠だった建物を復元したもので、中を自由に見学することができます。
手紙や荷物を運ぶことを仕事としていた人たちで、今の郵便や電話にあたります。幕府が使った飛脚は宿場ごとにリレー方式で交代しながら運ぶもので、江戸から京都までの約500キロメートル、通常は2週間かかるところを3〜4日で走ったといいます。また、一般の人が利用する飛脚もありました。