各務原市
所蔵資料の紹介
 当館には市民の皆さんから提供していただいた貴重な資料がたくさんあります。市民共有の文化遺産として有効利用を図るために、所蔵資料目録を刊行し、閲覧できるようにしています。ご希望の方は当館[電話・058-379-5055]までご連絡ください。

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戦時資料
明治~昭和20年
認識票
認識票の写真
兵士の身元確認のための金属の札で、部隊名、番号、氏名、血液型が彫り込まれていた。
昭和初期
航空廠肩章
航空廠肩章の写真
各務原陸軍航空廠の職員は軍属扱いであったため、階級を表す肩章をつけた。同廠の任務はおもに飛行機を整備することにあった。
明治~昭和20年
金鵄勲章
金鵄勲章の写真
陸海軍の軍人の武功に与えられるのが勲章で、「金鵄勲章」は最も栄誉があるものとされていた。神武天皇の東征神話に登場する金の鵄(とび)にちなむ。
明治21年~昭和20年頃
日本赤十字社章
日本赤十字社章の写真
日本赤十字社は、明治20年(1887)に発足し、皇室、軍の保護のもとに発展した。主な事業は戦傷病者の救護で、平時は一般国民の医療活動に従事した。
昭和10年代
大日本国防婦人会、愛国婦人会のたすき
大日本国防婦人会、愛国婦人会のたすきの写真
愛国婦人会は明治34年(1901)皇室中心の軍人援護団体として発足した。大日本国防婦人会は昭和7年(1932)軍部指導のもとに発足し、割烹着、白たすき姿で出征兵士の送迎、国防訓練などを行った。
昭和10年代
千人針
千人針の写真
「弾丸よけ」として、白布に赤糸で一人一針ずつ千人の女性から玉を作ってもらう。虎は千里行って千里帰るといい、五銭は四銭(死戦)を、十銭は九銭(苦戦)を越える意味から縫いつけた。
昭和15年
紀元二千六百年祝典記念章
紀元二千六百年祝典記念章の写真
初代の神武天皇が即位した年を皇紀元年とし、それから2600年目の昭和15年(1940)には、皇紀ニ千六百年として記念式典や奉祝会が盛大に行われた。
昭和19年
満州建設勤労奉仕隊員の腕章
満州建設勤労奉仕隊員の腕章の写真
岐阜県報国農場隊のもの。岐阜県から満州へ勤労奉仕隊が出かけた。
明治34年~昭和20年
報徳会員の章
報徳会員の章の写真
報徳会は明治34年(1901)陸軍軍人の花田仲之助によって組織された国民教化を目的とする団体である。稲葉郡には、259の会があった。
昭和17年~昭和20年
大日本武徳会正会員之章
大日本武徳会正会員之章の写真
武徳会は明治28年(1895)に結成された武道振興を目的とする団体である。昭和17年(1942)には政府の外郭団体に改組され、大日本武徳会と改称。会長は文部大臣が就任し、柔道・剣道・弓道・銃剣・射撃の五部門があった。
昭和15年
国民服と儀礼章
国民服と儀礼章の写真
国民服は昭和15年(1940)に国民服令によって制定された。色は軍服と同じカーキ色で、儀礼章を胸につければ礼服として通用した。
昭和18年頃
警防団員の巻脚絆
警防団員の巻脚絆の写真
警防団員は黒の戦闘帽に黒の襟の制服、黒の巻脚絆といった服装であった。
昭和10年代
紙製のかぶと
紙製のかぶとの写真
鉄かぶとの代用品。金属回収令によって金属が供出され、代用品として使われた。
昭和初期~昭和20年
除隊記念盃
除隊記念盃の写真
入営後厳しい軍隊生活を無事に終えて満期除隊した兵士は、記念盃を作り、縁者に贈って無事を祝った。盃のほかに盆を贈った兵士もいる。
昭和16年~20年
一升瓶の中で米つき
一升瓶の中でつきの写真
配給された玄米を一升瓶の中に入れてついていた。
昭和10年代
甘藷裁断機
甘藷裁断機の写真
干甘藷を作るために使われた。戦時中は代用食として、干甘藷を粉にし、「黒ぼち」を作った。
昭和16年頃
隣組歌詞・絵入り湯飲み茶碗
隣組歌詞・絵入り湯飲み茶碗の写真
隣組制度は昭和15年(1940)に発足した。隣組は10軒くらいの単位で、主な活動は住民の登録、物資の配給、貯蓄の奨励、国債の割当て、労力の奉仕、出征兵士の歓送、防空活動などであった。
昭和21年代
航空機用の製作材料で作った米びつ
航空機用の製作材料で作った米びつの写真
終戦後、航空廠や川崎航空機は連合軍に接収され、川崎航空機では那加町の旧徴用工の食堂に板金工場を設立し、米びつ、なべ、皿、弁当箱などの民需品を作って急場をしのいだ。
昭和18年
各務原郵便局の陶器の看板
各務原郵便局の陶器の看板の写真
昭和17年(1942)の金属回収令により各務原郵便局の看板も陶製となった。