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令和元年7月 「手帳やポスターで!ふるさと各務原の魅力を再発見」 2ページ目

ID番号 K30452更新日 令和元年7月1日

令和元年7月 「手帳やポスターで!ふるさと各務原の魅力を再発見」の画像

あの歴史上の出来事が、各務原で!?

ポスターを見る小学生の写真

かかみがはら手帳に続き、ふるさと発見事業として「図解 かかみがはらの風土」を制作。市内の児童・生徒らに、各務原の歴史に触れてもらおうと、歴史的な出来事を1枚のポスターにまとめました。子どもたちに興味を持ってもらえるように、「かかみがはらの歴史事件簿」と題し、市内の歴史的な出来事を、事件風に取り上げました。旧石器時代から現代まで6つの出来事を取り上げ、それぞれ関連する史跡や文化財を訪れたいスポットとして紹介しています。A1~A3の3サイズ作成し、市内小・中学校のほか、図書館や産業文化センターなどに掲示しています。
主な対象は、小学6年生。地域の歴史を学び始める小学3年生から、より歴史を詳しく学んだそれ以上の学年・年齢まで、幅広い世代で楽しむことができます。きっと、「教科書に載っているあの出来事が、各務原にも関係があったんだ!」、「あの歴史上の人物が、各務原を訪れていたなんて」という新しい発見があるはずです。

「授業にも活用したい」鵜沼第一小学校・山下真琴教諭

ポスターについて話す山下教諭の写真

「かかみがはらの風土 かかみがはらの歴史事件簿」には、鵜沼第一小学校区にある、坊の塚古墳や中山道鵜沼宿についての記事があり、校内に掲示すると、たくさんの子どもたちが読んでいました。また、先日、坊の塚古墳を見学してきたこともあり、その記事については、特に興味深そうでした。
ぜひ、このポスターを授業などでも活用して、子どもたちが、自分たちの住む地域にも歴史的価値のある遺跡などがあることを学び、各務原に誇りを持ってほしいです。

歴史の舞台となった各務原

各務原には、約2万年前から人が住み始めたと考えられています。その時代から今日まで、たくさんの人が各務原を訪れ、さまざまな出来事が起こってきました。今回の「かかみがはらの歴史事件簿」では、その中から6つの出来事をピックアップ!ここでも簡単にご紹介します。
また、市ウェブサイト内キッズページでは、お子さん向けに詳しく紹介しています。今後、公開済の6ページに加え、新しい事件を追加予定。お楽しみに!

各務原に人あらわる!

各務原に初めて人が住み始めたのは、約2万年前の旧石器時代のころ。石器を使い、狩りをして生活していたと考えられています。約1万年前の縄文時代になると、石器に加え、粘土を焼いて作った縄文土器を使っていました。
これらのことは、市内に残された遺跡から明らかになりました。鵜沼三ツ池町にある炉畑遺跡は、今から約4500年前の縄文時代の遺跡。これまでに行われた調査で、数多くの土器や石器とともに、当時の家である、竪穴住居の跡が見つかりました。現在は、公園として整備され、復元された竪穴住居を見ることができます。

炉畑遺跡公園の写真

縄文土器の写真

100メートル越え!各務原に巨大古墳出現

弥生時代が終わりを迎えた、約1750年前。日本各地に古墳が作られるようになりました。市内にも600基以上が作られ、中でも、鵜沼羽場町の「坊の塚古墳」は、県内でも2番目に大きい、全長120メートルを誇ります。
古墳時代の後半になると、小さな円墳が山のふもとに数多く作られました。鵜沼大伊木町の陵南小学校内にある大牧一号墳からは、鉄製の小刀や鎧、馬具なども見つかっています。

坊の塚古墳の写真

大牧古墳石室の写真

幕府×朝廷「決戦」は各務原

承久の乱合戦供養塔の写真

さらに時代は進み、鎌倉時代。承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が幕府から政権を取り戻そうと兵を挙げ、「承久の乱」が起こりました。鎌倉を中心とする幕府と、京都を中心とする朝廷が日本を二分し、両軍の主力が前渡で激突しました。当時、前渡は川を渡る渡し場の1つ。各務原側に陣取った朝廷軍1万の兵に対し、幕府軍10万の兵を率いた北条泰時らが川を渡って攻め込みました。
その結果、幕府軍が圧倒的な勝利を収め、朝廷軍に加わっていた美濃の武士たちは、領地を没収されたり、島流しにされたりしました。

襲来!織田信長

織田信長禁制の写真

室町時代から安土・桃山時代にかけて、尾張の武将、織田信長は天下統一を目指していました。当時、美濃は京の都に近く、交通や物流の拠点となる重要な場所であったため、織田軍は何度も美濃に侵攻。永禄8年(1565年)に、犬山城を攻め落とした織田軍は、鵜沼城、猿啄城も攻略しました
翌年、各務原周辺の城を次々と落とした織田軍は、再び各務原へ侵攻。現在の那加新加納町や川島のあたりで、稲葉山城の城主、斎藤龍興の軍が迎え撃ちました。

鵜沼宿に「姫」がやってきた!

江戸時代に整備された街道の1つ、中山道。江戸と京都を結ぶこの街道には、69の宿場が置かれ、現在の鵜沼西町と東町のあたりに、鵜沼宿が宿場町として栄えていました。中山道は、京都から江戸の将軍に嫁入りする姫君たちも利用していたことから「姫街道」とも呼ばれており、万延元年(1861年)には、第14代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女和宮も利用しました。
和宮のほかにも、松尾芭蕉や、伊能忠敬なども訪れた、中山道鵜沼宿。現在は、当時の街並みを再現しようと再生整備が行われ、「町屋館」や「脇本陣」が公開されています。

和宮の写真
徳川記念財団蔵

再生整備された鵜沼宿の写真

打倒!「ペリー」大砲練習場が飛行場へ

江戸時代の終わりごろ、前渡村を治めていた坪内氏は、何もない草原「各務野」を大砲の練習場に使っていました。嘉永5年(1853年)、アメリカのペリーが黒船で来航すると、坪内氏は「何かあれば大砲を持って江戸へ駆けつける」と幕府に伝え、大砲の腕を磨きました。
明治時代になると、各務野は陸軍の大砲演習場に。しかし、大砲の性能が上がり、砲弾が演習場を越えてしまうようになると、大砲の演習場としては使われなくなりました。この土地を利用して、大正6年(1917年)には、日本で2番目の飛行場として「各務ヶ原飛行場」が誕生しました。

坪内嘉兵衞昌壽の写真

各務原飛行場の写真

「実はすごい!各務原」鵜沼第一小学校6年・樋口みのりさん

感想を話す樋口さんの写真

今回のポスターを見て、社会の教科書にも載っているような出来事が各務原でも起きていたり、織田信長や伊能忠敬など歴史上の偉人が各務原を訪れていたことを知り、とても驚きました。家の近所で身近な場所だった「中山道鵜沼宿」が、将軍に嫁ぐ姫がお昼ご飯を食べた、実はすごい場所だと知って、びっくり!
この前、坊の塚古墳には行ってきたので、このポスターに載っているほかの場所にも行ってみたいです。特に、竪穴住居があるという炉畑遺跡は、行ってみたいです。

Let's Go! 行ってみよう

上記各ページでは、それぞれの出来事に関連する場所が紹介されていますが、このほかにも市内には、日本や各務原の歴史を感じ取ることができるスポットがいくつもあります。
それらの場所に実際に足を運んで、ふるさと各務原について、もっと理解を深めてみませんか。各地を見学する際は、安全に十分ご注意ください。

夏休みのお楽しみ♪

広報紙7月15日号でも、「かかみがはらの風土(1) かかみがはらの歴史事件簿」を紹介します。事件簿に掲載された時代に、らららがタイムスリップ!果たして、らららは無事に現代に戻ってこられるのか!?ストーリー仕立てで、小さなお子さんも楽しめる内容になっています。お子さんと一緒に見て、実際にお出かけしたり、夏の自由研究のテーマにしたり、親子で楽しみながら、地域のことを学びましょう。

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