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平成30年8月「川崎 KAL-1 連絡機」

ID番号 K25355更新日 平成30年8月1日

川崎 KAL-1 連絡機

2018年3月24日に、各務原が日本に誇る航空・宇宙専門博物館として、「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館(空宙博:そらはく)」がリニューアルオープンしました。今年度は特別に、博物館で実際に展示されている機体を解説していきます。
登場するのは、博物館や航空機を愛してやまない方ばかり。機体への愛情あふれる皆さんが語る魅力や見るべきポイントをお楽しみください。

第4回目の解説者は、教育普及推進監である竹村宗近さん

竹村さんの写真

普段は、県内の小・中学生に航空や宇宙のおもしろさを知ってもらうために、空宙博の普及に関わる仕事をしています。各務原市は古くから航空産業が盛んです。空宙博は、実機など「生きた資料」を見ながら航空や宇宙の歴史を探ることができる、全国でも珍しい博物館です。今回紹介する川崎 KAL-1 連絡機も、航空産業の歴史と深い関係がある機体です。その歴史を一緒にのぞいてみましょう。

「川崎 KAL-1 連絡機」とは…

「川崎 KAL-1 連絡機」は、日本の航空機産業の再スタートという希望のもとに、各務原で戦後初めて設計・製造された航空機です。

川崎 KAL-1 連絡機の写真

【川崎 KAL-1 連絡機 機体データ】

  • 搭載エンジン:ライカミング GO-435-C2 空冷水平対向6気筒 
  • エンジン推力:194キロワット×1基
  • 最高速度:時速295キロメートル
  • 実用上昇限度:5000メートル
  • 航続距離:830キロメートル
  • 全備重量:1460キログラム
  • 乗員数:4人
     

川崎 KAL-1 連絡機ができるまで

戦時から戦後の日本

旗のイラストアップの写真

第2次世界大戦当時、日本は世界的にも有数の航空大国でした。しかし敗戦をきっかけに、日本人によるすべての航空活動(航空機の研究・実験・生産)はGHQ(連合軍総司令部)により禁止されます。それまでに国内にあった飛行機は、「各務原飛行場」に残っていた飛行機も含め、ほとんどが破壊・焼却処分されました。

航空機産業復活のきっかけは、平和条約だった

下から正面を撮影した写真

それから7年後の1952(昭和27)年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により、GHQによる占領統治は終了し、日本は主権を回復しました。それから日本の航空機生産活動が解禁され、旧航空機メーカーは、こぞって航空機分野の再建に乗り出しました。しかしながら、旧航空機メーカーが得られた仕事は米軍航空機の修理ばかり。そんな状況の中、国内各所で国産機復活に向けた試みが開始されます。

国産機の歩み

戦後の国産機の1番目となったのは、新立川飛行機 R-52(昭和27年9月初飛行)です。旧立川飛行機の技術者が戦時中に設計・試作された練習機をもとに、有り合わせの材料で組み立てました。2番目に作られたのは、東洋航空 TT-10(昭和27年12月初飛行)です。新立川飛行機 R-52より近代的なデザインでしたが、鋼管溶接の骨組みに羽布張りの胴体、主翼も木製桁に羽布張りなど、旧式な構造をしていました。その後3番目に作られたのは、日大/岡村 N-52(昭和28年4月初飛行)です。日本大学の学生が基礎設計をした並列複座機ですが、耐空証明取得後はほとんど飛行しないまま証明失効に至り、保管されるのみで、倉庫行きだったとのことです。

ついに川崎 KAL-1が誕生!

後ろの「川崎」の文字アップの写真

そのような中、戦後4番目の国産機として昭和28年7月に各務原で初飛行したのが、川崎 KAL-1 連絡機です。日本の航空機産業の再スタートという希望のもと、戦後、初めて各務原で設計・製造された飛行機です。また、戦後の国産機としては初の引込脚・全金属製の本格的な飛行機として製作されました。1954(昭和29)年4月には、日本青年飛行連盟が主催した台湾訪問親善飛行に参加。台北まで、国産機として戦後初の海外訪問飛行を成功させました。
ただ、戦後初めての設計ということもあり、第2次世界大戦期における機体の習作的な意味合いが強く、試作機は2機製造されるのに留まりました。1号機(登録番号 JA3066)は、川崎航空機工業(株)(現 川崎重工業)の社用機として使用された後、陸上自衛隊の連絡機となり、現在は残っていません。

空宙博で見てみよう!

1階のフロア全体の写真

空宙博に展示している機体は、前述の台湾訪問親善飛行に参加した2号機(登録番号 JA3074)です。1号機と同様に社用機として使用された後、大阪市の交通科学博物館の展示物として寄贈されました。1966(昭和41)年から2014(平成26)年まで展示されました。その後、48年ぶりに各務原へ里帰りしました。
この機体はまさに、「戦後7年間の航空活動禁止を含めた航空機産業の歴史」、そして「日本航空機産業の再スタートに情熱を燃やした当時の関係者の思い」を伝える生き証人です。

その後の川崎 KAL-1 連絡機は…

その後、KAL-1を全面的に見直し、各務原での戦後2番目の国産機 KAT-1の設計を取り入れ改良した川崎 KAL-2 連絡機が、昭和29年11月に各務原で初飛行します。1955(昭和30)年、防衛庁が多座席連絡機の機種選定に入ったとき、川崎は5人乗連絡機としてこのKAL-2を提案します。しかし、米国ビーチクラフト社のT-34メンター座席周りを改造した富士重工 LM-1が採用されたため、このKAL-2も試作機が2機作られただけで製造中止となりました。1号機は海上自衛隊、2号機は航空自衛隊(後に陸上自衛隊へ移管)に納入・使用された後、2号機は埼玉県の所沢航空発祥記念館にて展示されています。

竹村宗近さんの「川崎 KAL-1 連絡機」の紹介はいかがでしたか?ここでは語り尽くせない機体の魅力は、ぜひ博物館でご覧ください!また、8月の空宙博は、宇宙飛行士の訓練を体験できる「航空宇宙塾」や、紙ひこうきやプロペラ模型の設計・製作ができる「ものづくり体験教室」、「ナイトミュージアム」などイベントが盛りだくさん!今年の夏の思い出づくりに足を運んでみてください。みなさんの参加お待ちしています。

8月には「ナイトミュージアム」と題して、夜間のライトアップや惑星観測会など行います。他にもイベントが盛りだくさんです。夏の思い出に、家族や友達で空宙博を訪れてみてはいかがですか?ぜひ博物館へ足を運んでみてください!

このページに関するお問い合わせ

岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
〒504-0924 岐阜県各務原市下切町5丁目1番地
電話:058-386-8500 ファクス:058-386-9912