村国座とは

ページ番号1004876  更新日 令和3年2月12日

印刷大きな文字で印刷

 「村国座」は、壬申の乱の英雄「村国男依」を祭神にまつった村国神社の境内にあります。年に一度行われる村国神社の祭礼で、氏子が奉納する地芝居を上演する目的で明治10年ごろ建設された舞台です。客席を備え、本格的な廻り舞台と広い花道、奈落を持っており、虚飾を廃した素朴で力強い造りの建物です。
 村国座は原形を大幅に変える改築や、映画館向きに改造されることもなく保存され、江戸時代末期から明治時代初期の劇場建築の典型を今に伝える数少ない農村舞台であるとして、昭和49年(1974年)に国重要有形民俗文化財に指定されました。

村国座の歩み

誕生

 大衆の娯楽としても芝居がさかんであった江戸時代末期の慶応2年(1866年)に各務村の大庄屋長縄八左衛門が発起し、江戸から明治への混乱期を経て、木材などの寄進や労働奉仕など各務村村民が一丸となって取り組み、明治10年ごろに完成しました。

激動の時代

 村国座が建築されてから約140年、その間に濃尾地震(明治24年)や伊勢湾台風(昭和34年)など、かずかずの自然災害を乗り越えてきました。
 また、生活の変化や娯楽の多様化によって全国各地の農村歌舞伎が衰退し、多くの芝居小屋が解体されていく中、「村国座の奉納歌舞伎」は、役者を「大人」から「子ども」に切り替えることで存続し、今も秋の村国神社の祭礼では、地元の小学生による子供歌舞伎が上演されています。

大修理と現在

 建築から約130年が経過した頃から、建物全体の老朽化が目立つようになってきました。
 調査の結果、建物が大きく南西方向に傾いており、礎石の据え直しや建物の建て起こしといった、根本的な修復工事が必要であることが分かりました。
 平成18年から3年を費やして、建物全体の修復や基礎工事、耐震補強工事を含めた「村国座 平成の大修理」を行いました。輝きを取り戻した村国座は、本格的な舞台照明や音響設備を備え、歌舞伎以外の公演にも幅広く活用されています。

村国座の平面の図

村国座の特徴

外観

外観の写真

 切妻造りの屋根には、約1万5千枚の桟瓦が葺かれています。壁は、真壁造(しんかべつくり)の漆喰(しっくい)壁で、白漆喰で仕上げられた壁面に規則正しく並んだ柱や妻梁(つまばり)、水平方向に連続する無双窓(むそうまど)と高窓格子(たかまどこうし)の構成が美しく、村国座の古風な外観を特徴づけています。

客席

客席の写真

 板張りの平土間席と東西に設けられた2階造りの桟敷席からなり、床座には、観劇の便を考慮して、前方に向かって下がり勾配をつけています。また、客席上部に天井が張られておらず 、見上げれば、松の大梁のその上に、二重、三重に梁を掛け渡し、貫や小梁を組んで大屋根を支える力強い小屋組みを見ることができます。

舞台

舞台の写真

 舞台正面には、彫刻をつけた虹梁(こうりょう)を架け、その上に飾り棚と高窓を設けるなど、額縁を際立たせた意匠が施されています。内部には、廻り舞台を中心に、左右に大臣柱(だいじんばしら)を立て、上手袖に太夫座(たゆうざ)を設(しつら)え、上部には、竹を組んだブドウ棚を吊り上げています。さらに本花道と仮花道を設置するなど、歌舞伎の上演に必要な舞台機構を備えています。

廻り舞台

廻り舞台の写真

 心棒を固定し、床部分だけを回転させる「皿廻し式」で、直径4間9寸(7.54メートル)あり、農村舞台のなかで最大規模をほこります。操作場は奈落にあり、盆の裏側に取付けられた4本の担ぎ棒を人力で押して舞台を回転させます。なお廻り舞台の機構は、解体修理の際に床下から発見された古材を基に、旧式の仕組みへと復元したものです。

花道

花道の写真

 舞台下手に本花道、舞台上手に仮花道を設けています。本花道は幅1.29メートル(4尺3寸)、長さ9.83メートル(5間2尺)あります。本花道の突き当たりの小部屋は「鳥屋(とや)」と言います。奈落と地下通路で通じ、花道へと登場する役者が控える場所になります。

太夫座

太夫座の写真

 舞台上手には太夫座があります。太夫座とは、歌舞伎の音楽を演奏する場所です。上下二階の構造になっていて、上段を語り手が座る「チョボ床(ゆか)」、下段を三味線や笛などの囃子方が座る「囃子場(はやしば)」と言います。太夫座の壁面には 、明治15年のこけら落としの記録など、村国座で上演された数々の演目の外題(げだい)や出演者名が壁の隅々までびっしりと墨で書かれています。

奈落楽屋

奈落楽屋の写真

 敷地は、北側を山、南側を川と接し、南に向かうに従って低くなっています。この高低差を上手く利用して舞台の床下に広さ約164平方メートル(50坪)、天井高さ2.247メートル(7.35尺)の奈落を設けています。南側には、明りとりの無双窓(むそうまど)を10面並べ、窓下に7畳程度の板張りの床を設えています。かつては、ここを楽屋として使用し、この床の上で役者たちが衣裳やカツラを着け、化粧をしていました。

堀道

堀道の写真

 花道へと向かう役者は、奈落から花道床下の堀道通路を経て、急な階段を上って鳥屋(とや)に入ります。堀道には、道幅を少し広くした場所があります。そこは花道のスッポン迫(ぜ)りがあった場所で、迫上(せりあげ)げ機構を操作しやすいように配慮されたものです。

このページに関するお問い合わせ

文化財課
電話:058-383-1475
ファクス:058-389-0218
文化財課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。