生々しい戦争の傷跡、機銃弾が貫通したトラス梁

ページ番号1005267  更新日 令和3年2月12日

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トラス梁(機銃弾痕)

機銃弾痕の残るトラス梁の画像
ボイラー室(上)トラス梁の弾痕(中)展示のようす(下)

 太平洋戦争さなかの昭和20年(1945)、他の都市と同様に各務原も激しい空襲(くうしゅう)を受けました。空襲の標的は、川崎航空機工業(現在の川崎重工業)でした。米軍の綿密な事前調査の下に、同年の6月22日と26日に大型爆弾が投下され、工場を中心に壊滅的な被害を受けました。また、その後も小型戦闘機によって執拗(しつよう)な攻撃を受けました。

 戦後しばらくして、工場は稼働し始め再建されていきました。工場の建物は、基本的に焼け残った部分があれば活かして修復、再建されました。そのため、所々に戦争の傷跡を残す部材が現在も生き残っています。

 今回、紹介する資料は、No.114ボイラー室の屋根北東部に組まれていたトラス梁(とらすばり=屋根の内側を支える三角形の骨組み)です。この建物は、空襲の際に南半分の屋根が焼け落ちました。焼け残った北側部分は、そのまま活かされて全体が修復されました。よく見ると、トラス梁の一部に、大きな穴と変形した箇所が認められます。これは、小型戦闘機が発射した機銃弾が貫通してあいた穴と、弾の接触による「く」の字形の変形です。建物の屋根を支える分厚い鋼板を打ち破った、銃弾の破壊力がよく分かるかと思います。

 このトラス梁は、平成27年(2015)まで、ボイラー室の屋根部材として機能していましたが、補修のために交換されました。取り外した1.83メートルの損傷部位は、各務原市に寄附され、現在は川島会館4階の各務原空襲資料室に展示されています。

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