各務原空襲で使用された爆弾の大きさと総重量

ページ番号1005269  更新日 令和3年2月12日

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1トン・250キログラム爆弾の模型と爆弾破片

爆弾の模型と破片の画像
1トン・250キログラム爆弾の実物大模型(上)爆弾の破片(下)

 川島会館4階にある各務原空襲資料室へ入ると、すぐに目を引くのは、正面の右側に立つ1トン爆弾と250キログラム爆弾の実物大模型です。

 太平洋戦争中の昭和20年(1945)6月22日、米軍のB-29爆撃機が各務原上空へ飛来し、川崎航空機の工場群などが空襲され大きな被害が出ました。午前9時16分~9時23分の間に、合計49機のB-29が爆弾を投下しました。爆弾の大きさは2トンと1トンで、総重量は206トンでした。資料室では、2トン爆弾は大きすぎるため復元していませんが、1トン爆弾の2倍の大きさを想像してみてください。

 4日後の6月26日、2度目の空襲がありました。この日は、9時12分~10時までの間に、114機のB-29が飛来しました。この時に投下された爆弾は250キログラム爆弾で、合計554.5トンと1度目の総重量を上回ります。

 この2度の空襲で使い分けられた爆弾の大きさから、米軍の空襲作戦を推定することができます。最初の空襲は、大型爆弾で工場群を大規模に粗く破壊し、2度目の空襲はやや小型の爆弾を用いて最初に破壊できなかった箇所を狙い撃ちしたと考えられます。

 空襲資料室のガラスケースには、実物の爆弾破片が展示してあります。鉄で作られた爆弾の表皮は、比較的に薄く作られており、割れ口は鋭い刃物のようになります。爆弾の破裂と同時に、細かく割れた無数の鉄破片が周囲へ飛び散ります。その時に、大きな破壊能力、殺傷能力を発揮するといわれます。爆弾が破裂してしばらくは、防空壕を出てはいけないといいます。それは、まだ空中に爆弾の破片が舞っていて危険だからです。

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