幕末のピアノの修復

ページ番号1005277  更新日 令和6年3月27日

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令和元年、1台のピアノが那加吾妻町の民家から見つかりました。


発見当時のピアノを撮影した写真

ピアノは、1828~66年ごろに英国ロンドンでピアノを製造していた「ジョージ・ピーチー社」製のアップライトピアノ。このピアノは150年以上前に製作され、戦前に各務原へ渡ってきた後、昭和20年の各務原空襲など戦火を生き抜いて今日まで伝えられてきました。

ピアノを愛用していたのは、那加中学校で教師をつとめ、昭和23年に制定された同校の校歌を作詞した、宇野澪子さんと妹の彩子さん(ともに故人)。家屋の取り壊しを前に、離れでピアノを発見した澪子さんの姪・美保(みお)さんが、「解体とともに壊してしまうのは、あまりにも忍びない。多くの人が演奏できる場所に置いてもらいたい」と、引き取り先を探していました。

ピアノについては、市文化財課で調査を行っていましたが、調査中に、音楽など芸術・文化の振興を行う「一般社団法人日本文化創成協会」の代表理事を務める井戸輝雄さんから、「幕末に作られ受け継がれてきた貴重なピアノを保存し、その音色を市民の皆さんに聞いてほしい」と、ピアノを引き取って修理したいとのお申し出をいただきました。

美保さんのご厚意により、ピアノは井戸さんに譲られ、現在は、熊谷美術館(山口県萩市)が所蔵する日本最古のピアノの修理も手掛けた栃木県のピアノ工房に持ち込まれ、修理前の調査が行われています。

井戸さんは、ピアノの修理後には、各務原にゆかりのある歴史的な楽器として活用していきたいと考えており、市とともにコンサートなど、広く幕末のピアノの音色を聴く機会を設けていくことを予定しています。

市ウェブサイトや市公式ツイッターでは、工房で修理を受けるピアノの状況をお伝えし、150年前の姿を取り戻していく経過を適時お知らせしていきます。

修理までの軌跡

専門家による調査(令和元年5月13日)

専門家による調査のようすの写真

民家の取り壊しに伴い、発見されたピアノの状態や構造などを確認するため、いったん市内の倉庫で預かって調査を行いました。

ピアノは、鍵盤を押せば音が出る状態ではあるものの、一部の弦が切れていたり、押下した鍵が戻らないなど、あちこち損傷していました。

日本ピアノ調律士協会の調律技能士と、井戸輝雄さんがピアノを調べ、ダンパーの構造や弦の細さなど、構造が現代のピアノと異なることを確認しました。

ピアノ工房での修理へ(令和元年7月11日)

ピアノ工房への修理に出されるようすの写真

井戸輝雄さんのお申し出により、アンティークピアノの修理に実績のある、栃木県のピアノ工房で修理を行うことが決定しました。

この日、工房のスタッフが各務原市を訪れ、井戸さんと元の所有者の方が見守る中、保管場所からピアノが運び出され、修理を行う栃木県の工房へと専用車で搬送されました。

現在は、ピアノ修理前の事前調査が行われており、工期など修理に関する詳細は決まっていません。修理作業の進捗など、修理の状況をウェブサイトなどでお知らせしていきます。

工房での修理作業(1)(令和4年9月)

工房に搬入されたピアノの画像
工房に搬入されたピアノ

栃木県のピアノ工房に搬入されたピアノは、現在、専門の職人の手により修理が行われています。

工房に搬入されたピアノは、すぐに修理作業が行われるわけではなく、いったん主要な部分ごとに解体し、各パーツの構造や材質、状態などを検証する作業が行われます。

作業は慎重・丁寧に

上部全面のパネルを外した状況の画像
上部全面のパネルを外した状況

写真はピアノ上部全面のパネルを取り外したところですが、古いピアノではこうした解体作業は慎重かつ丁寧に行う必要があります。また、内部に溜まったホコリやゴミなども、内部に破損したパーツの破片などが混入していることがあり、安易に掃除機などで除去することができないなど、慎重さと時間を要する作業です。
こうして各主要パーツに分解した後は、それぞれのパーツごとに構造や破損状態などを検証し、修理の方針を決定していきます。

いよいよ修理がスタートした、ジョージ・ピーチー社のアンティークピアノ。今後、修理が進むとともに、明らかになっていくピアノの構造やその特徴についてもお知らせしていきます。

工房での修理作業(2)(令和4年9月)

分解作業を受けるピアノの写真
分解作業を受けるピアノ

ピアノは本体のほか鍵盤、アクション、脚部などのパーツに分解され、各部ごとに職人の手に寄って構造や素材などの調査が行われています。
19世紀のものと考えられるこのピアノは、分解したところ、現代のピアノと構造が大きく異なっているのはもちろん、他の当時のピアノと比較しても、構造に特徴的な部分を多く持つことが分かってきました。

 

各部材を丁寧に調査し、補修する

鍵盤のクリーニング作業の写真
鍵盤のクリーニング作業

令和元年に発見された時点で既に音が出ない状態だったことから、あまり保存状態が良くないだろうと想像されていましたが、分解してみると、やはり内部で多くの部品が破損していることが確認されました。
こうした破損個所は、素材や形状を慎重に調査し、同じパーツを作り直して補修していきます。
 

ハンマーの製作(令和4年11月)

ピアノのハンマー部分の写真
ピアノのハンマー部分

鍵盤楽器であるピアノは、鍵盤を押下すると、連動したハンマーが弦を叩き音が出る仕組みとなっており、ハンマーはピアノの音色を決める重要な部品のひとつといえます。
このハンマーもやはり損傷が著しかったため、修理ではなくハンマー部分を新しく製作し交換することとなりました。

調律・演奏可能なハンマーが完成

完成したハンマーの写真
完成したハンマー。外側はオリジナルのもの
(画像提供:今出川ハンマー製作所)

ハンマーの製作は、浜松市の専門の工房で行われました。当時のピアノは機体ごとにハンマーの構造や大きさが異なるため、オリジナルの部品を採寸し、構造を確認してから製作が行われます。
オリジナルのハンマーは、マホガニー材の芯材に革とフェルトを薄く貼り付けたものでしたが、演奏や調律など今後の活用を考慮して、ナトー材の細い芯材に厚くフェルトを圧着した構造で作り直しました。

市庁舎への搬入(令和5年10月)

業者がアンティークピアノを運搬する写真

令和元年に各務原市から栃木県真岡市の工房へと運ばれたアンティークピアノが、およそ4年ぶりに各務原市へと帰ってきました。
令和4年から行われてきた修復作業を経てよみがえったアンティークピアノは、工房の職人の皆さんの手で設置場所である市庁舎へと慎重に搬入されました。

アンティークピアノ贈呈式(令和5年11月4日)

アンティークピアノ贈呈式でピアノの除幕をする井戸さんと宇野さんの写真

各務原市役所低層棟の開庁に伴う市庁舎完成記念式典の場で、アンティークピアノの贈呈式が催されました。
ピアノを修復していただいた井戸輝雄さんから、浅野健司市長へとアンティークピアノ寄贈の目録が手渡され、浅野市長から井戸さんに感謝状が贈られました。贈呈式に続く除幕式で、ついに完成したピアノの姿が皆さんに公開されると、会場からは大きな拍手が贈られました。
式典の最後には、ピアニスト・加藤紗耶香さんによるミニコンサートも開催。来場した皆さんは、150年以上という歴史あるピアノが生み出す味わい深い音色とともに、心地よいひと時を過ごしました。

ピアノの展示・活用について

市では、こうしてかつての姿と音色を取り戻したアンティークピアノを歴史ある文化財として展示するとともに、その音色を楽しんでいただくためのコンサートを定期的に開催する計画となっています。
ピアノ展示・活用については、下記のリンク先をご覧ください。

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文化財課
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