坊の塚古墳の国史跡指定が答申されました
国の文化審議会は、令和6(2024)年6月24日に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、「坊の塚古墳(ぼうのつかこふん)」を国の史跡に指定するよう、文部科学大臣に答申しました。答申された文化財は、今後、官報告示を経て正式指定となります。これにより、市内の国指定文化財は5件となる予定です。
坊の塚古墳とは?
坊の塚古墳は、木曽川によって形成された各務原台地の東端(鵜沼羽場町)に所在する、岐阜県下第2位の規模の前方後円墳です。墳長は120メートルを測り、墳丘の周りには盾形の周壕が巡っています。なお、墳丘部分は昭和32(1957)年に県の史跡に指定されています。
平成27年度から令和3年度にかけて実施した発掘調査では、多数の円筒埴輪や滑石製模造品、壺形土器、土製品などが出土しています。ここで出土した円筒埴輪の型式などから、築造年代は4世紀後葉(古墳時代前期末)と推定されました。
坊の塚古墳の重要性
平成27年度から令和3年度にかけて実施した発掘調査により、墳丘が前方部・後円部ともに3段で築成されていることが明らかになりました。この3段築成の墳丘は、前方後円墳の中でもヤマト王権が定めた中で上位の規格といわれ、墳長150メートルを誇る県下最大の前方後円墳・昼飯大塚古墳(大垣市昼飯町、国史跡)と同じ形式です。
最上段部は畿内的な円筒埴輪で囲われていましたが、その囲いの中の埋葬施設の周りにはこの地域で大切にされていた壺形土器を並べており、地域の土器文化が尊重されたことが考えられます。
以上のように、坊の塚古墳の築造からは、ヤマト王権が各務原市域の在来勢力を高く評価し受け入れつつ、木曽川流路を活かした交通の要衝であった鵜沼東部地域を重視し、自らの権威を表したことがうかがえます。
坊の塚古墳は、ほぼ同時期に築造された昼飯大塚古墳とともに、ヤマト王権の東国政策が美濃地域へ及んだ当時の政治と社会を研究する上で、非常に重要な史跡です。



坊の塚古墳の出土遺物を展示します
埋蔵文化財調査センターでは、今回の答申を受け、関連企画として坊の塚古墳の出土遺物を展示しています。詳細は、下記リンクをご覧ください。
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