熊田山北古墳群B地区発掘調査

ページ番号1005296  更新日 令和5年5月11日

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熊田山北古墳群は、熊田山の山頂から北麓にかけて分布しており、かつては41基あったといわれています。その中の多くは滅失し、現存するのは調査を行ったものも含めて7基です。
令和2年に西端の丘陵上に位置する4基の円墳の調査を実施しました。すべての古墳で盗掘された痕跡が見られましたが、埋葬施設に石室を用いない木棺直葬を採用していることがわかり、多数の副葬品が残された古墳もありました。

1号墳

写真2
墓坑(ぼこう)内を調査
写真3
出土したガラス玉

周壕を備えた直径約18mの円墳です。かろうじて盗掘を免れた墓坑から、副葬品として多数の鉄製品が出土しました。種類は、直刀(ちょくとう)・刀子(とうす)・轡(くつわ)・矛(ほこ)・鏃(やじり)・鎌(かま)・斧(おの)です。木棺に使われた木材をつなぐための鎹(かすがい)も残っていました。副葬品や鎹はすべて原位置を保っており、死者を埋葬した様子がよくわかります。また墓坑から少し離れた場所からガラス玉60点が見つかりました。

2号墳

写真4
2号墳 全景
写真5
周壕を掘削

古墳の南側は公園の造成で失われていますが、周壕を備えた直径約15mの円墳と考えられます。墓坑を確認しましたが、盗掘によって遺物はほとんど出土しませんでした。

3号墳

写真6
出土した勾玉、臼玉(楊枝で出土した位置を示しています)
写真7
臼玉の取り上げ作業

墳丘の北側に周壕を持つ直径約18mの円墳です。墓坑から遺物の出土は確認されませんでしたが、中央にある掘り返された穴(盗掘坑)から壊れた鉄製品が出ています。
また墓坑の北端から1500点を超える滑石製臼玉が集中して出土しました。臼玉は4基の中でも3号墳のみで出土しました。

4号墳

写真8
4号墳 全景
写真9
墳頂部での作業の様子

調査区内最大の円墳で、南側を大きく削られていますが、直径は27~30mと推定されます。墳丘周囲の表土下には岩盤が見えており、周壕は確認されませんでした。わずかに残った墓坑からは絞具(かこ:留め金具の一種)・ガラス玉・須恵器などの遺物が出土しましたが、著しく散在していたため盗掘により掘り返されたようです。

今回調査を行った古墳群は、主に出土した遺物から築造時期は5世紀末~6世紀初頭と考えられます。市内ではこの時期の古墳の調査例が少なく、盗掘を免れた1号墳から当時の埋葬状況が明らかになったことは、非常に重要な成果でした。特に当時の木棺の位置を示す鎹は、市内で初めて確認された出土遺物で、石室のない墓坑に木棺が置かれていた独自の埋葬方法が明らかになったといえます。今後の研究の成果にご期待ください。

9月12日(土)現地説明会を開催しました

写真10
学芸員の説明に耳を傾ける参加者
写真11
出土品の展示に興味深く見入る参加者

コロナ禍の中、さまざまな行事などが中止となっています。埋文センターでも感染拡大防止のため行事や講座等を控えていましたが、発掘調査の成果を市民のみなさんに現地でぜひ見ていただきたいとの思いから、現地説明会の開催を決定しました。
参加・見学は予約制とし1回の説明に30人まで、15人ずつの2グループに分かれた説明会を計4回行いました。30人×4回の120人、ほぼ定員いっぱいの見学者がいらっしゃいました。
見学者のみなさんにはマスクの着用、手指の消毒にもご協力をお願いしました。説明会後のアンケートでは、1回の説明の人数が少ないことでかえって説明が聞きやすかった、質問ができた等の感想もいただくことができ、好評のうちに終了することができました。

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電話:058-383-1123
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