うとう峠と一里塚

ページ番号1004983  更新日 令和3年2月12日

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 江戸方面から鵜沼宿へ入るには、「うとう峠」を越える必要がありました。『うとう』とは、山と山との間を意味する言葉だそうです。一部は石畳となっていますが、これは新しく整備された時に施工されたものです。
 うとう坂の中腹には、この峠で盗賊に襲われて命を落とした小田原宿の喜右衛門の菩提を弔うための石碑があります。作られた年代は不明ですが、石碑の裏に刻まれた村役人の名前から、おそらく江戸時代後半に建立されたものと考えられます。この石碑の右側には、「うぬまへ拾六丁」、左側には「太田へ壱里廿丁」と刻まれており、道標の役割も担っていました。
 市内に現存する唯一の一里塚が、うとう峠を西側に下ったところにあります。江戸から数えておよそ100番目となるこの塚は、直径10メートル、高さ2メートルの大きさで残っています。南側にも対になる塚がありましたが、戦時中陸軍の兵舎が建てられたことにより、半分以上が崩れてしまっています。

一里塚の写真
一里塚(市指定史跡)
うとう坂の石畳の写真
うとう坂の石畳

石地蔵供養碑の写真
石地蔵供養碑
うとう峠の写真
うとう峠

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