幕末の長雨、東島村絵図

ページ番号1005239  更新日 令和3年2月12日

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東島村絵図 慶応四年(1868)五月

東島村絵図の画像


 幕末の東島村(現在の蘇原東島町)を描いた絵図です。慶応(けいおう)4年は、1月3日の鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争(ぼしんせんそう)の年であり、9月から明治元年へと変わる年です。

 このころ、東島村は旗本(はたもと)金田氏の領地でしたが、美濃の旗本たちはみな新政府軍に従う意向を示したため、新政府の指示を受けた尾張藩士・荒川弥五右衛門の管轄に代わりました。

 絵図を見ると、東島池から流れる後川(うしろがわ)沿いには田んぼが広がっていますが、灰色に塗られています。この年は大変な長雨で、閏(うるう)4月は12日間、5月は19日間雨が降り、後川でも洪水が発生しました。そのため東島村の農民たちは、田んぼに土砂が流れこんだところを灰色に塗って、被害状況を報告しました。そして、新たな支配者である荒川弥五右衛門に対して年貢の減免を願い出ています。

 この頃、新政府軍に従軍していた前渡坪内氏も、留守を任せていた家臣から長雨による木曽川洪水の報告を受けました。洪水被害の影響で地元からの送金が滞ることを恐れた一行は、会津戦争に従軍せず、江戸を出立して前渡に戻りました。

 明治の訪れを告げる長雨と、新たな支配者への移り変わりが見て取れる絵図です。

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