古代最大の内乱!村国男依が大活躍
「大化の改新(たいかのかいしん)」で知られる天智天皇(てんじてんのう)の死後、古代最大の内乱が起こりました。天智天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)と、息子・大友皇子(おおとものおうじ)が、次の天皇をめぐり争った「壬申の乱」です。
672年に起きたこの争いで活躍したのが、各務原の豪族(ごうぞく)、村国男依(むらくにのおより)。大海人皇子の命により、わずか数日で美濃(みの)の兵士3,000人を集めた男依は、日本の東西を分ける重要な場所、後の「天下分け目の合戦(かっせん)」の場ともなった関ヶ原(せきがはら、現在の岐阜県関ケ原町)を抑えると、その後も将軍(しょうぐん)として数々の戦いに勝ち、大海人皇子に勝利をもたらしました。
乱の後、大海人皇子は天武天皇(てんむてんのう)となり、活躍した男依らには、ほうびが与えられました。男依には、最も多くのほうびと高い位(くらい)がおくられ、壬申の乱での男依の活躍がいかに優れていたかが分かります。
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市内には、「村国」の名が付く神社が2カ所あります。各務おがせ町の「村国神社」と、鵜沼山崎町の「村国真墨田(ますみだ)神社」です。どちらも平安時代(へいあんじだい)の書物に登場する歴史ある神社で、村国男依を神様としてまつっています。
(所在地 各務おがせ町)
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