襲来!「織田信長」
戦国時代(せんごくじだい)を代表する武将(ぶしょう)、織田信長(おだのぶなが)。当時、最新の武器だった鉄砲(てっぽう)を駆使(くし)し、尾張(おわり、現在の愛知県西部)の一国から、天下統一(てんかとういつ)をめざしました。
当時、美濃(みの)は京の都(みやこ)に近く、交通や物流の拠点(きょてん)としても重要な場所でした。そのため織田軍は、尾張と美濃の国境だった木曽川を渡って、何度も美濃に侵攻(しんこう)しました。1565年、犬山城(いぬやまじょう)を攻め落とした信長軍は、対岸の伊木山(いぎやま)に陣(じん)をかまえると、美濃の木曽川ぞいにあり、信長の美濃侵攻を防いでいた鵜沼城(うぬまじょう)と猿啄城(さるばみじょう、坂祝町)の2城をまたたく間に落としました。
その後、各務原周辺の城を次々と攻略した信長は、1566年に再び木曽川を超えて各務原へ侵攻。対抗する稲葉山城(いなばやまじょう)城主(じょうしゅ)の斎藤龍興(さいとうたつおき)は、現在の那加新加納町や川島のあたりで信長を迎えうったとされています。
1567年、ついに稲葉山城と美濃を手にした信長は、土地と城の名前を「岐阜」と改名。この岐阜城を足がかりに天下統一へ向かっていきました。
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那加手力町にある手力雄神社(てぢからおじんじゃ)には、信長ゆかりの文化財(ぶんかざい)が多く残っています。信長が弓(ゆみ)や的(まと)を置いたという桜の木や、兵士たちに神社内での乱暴(らんぼう)を禁止(きんし)した文書(注)などが神社に伝わっています。
(注)通常、見ることはできません
(所在地 那加手力町)
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