鵜沼宿に「姫」がやってきた!

ページ番号1003758  更新日 令和3年2月12日

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鵜沼宿に姫がやってきた!のイラスト

和宮の写真
和宮(徳川記念財団蔵)

鵜沼宿(うぬまじゅく)は、江戸時代(えどじだい)の街道(かいどう)「中山道(なかせんどう)」につくられた宿場町(しゅくばまち)です。中山道は、別名「姫街道(ひめかいどう)」と呼ばれ、その名のとおり、京都から江戸の将軍(しょうぐん)のもとへお嫁入(よめい)りする姫君(ひめぎみ)たちが、この中山道を通って江戸へ向かいました。

姫たちは、みな華やかな行列で中山道をいろどりましたが、中でも盛大(せいだい)だったのが1861年、第14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)にとついだ和宮(かずのみや)です。その行列は、なんと約2万人、全長約50キロメートルだったというからおどろきです。

和宮は鵜沼宿で昼食をとり、その準備のため、宿場は大変な忙しさでした。和宮の昼食のメニューは、焼いたイナ(ボラの幼魚)や、大根とシイタケを添えたサヨリ、ショウガのあんをかけた赤貝など。海から離れた各務原ですが、海産物(かいさんぶつ)を豊富(ほうふ)に使った特別なメニューでした。
 

和宮の他にも、「俳聖(はいせい)」と呼ばれた松尾芭蕉(まつおばしょう)や、日本地図を作った伊能忠敬(いのうただたか)など、鵜沼宿には当時の有名人が数多く訪れています。

Let’s GO! 行ってみよう

鵜沼宿の写真
鵜沼宿

姫君たちや松尾芭蕉が訪れた鵜沼宿は、当時の建物など、江戸時代を体験できる場所に整備されています。伊能忠敬が鵜沼宿をおとずれた際に食べたという、「ねぶか雑炊(ぞうすい)」を味わうこともできます。
(所在地 鵜沼西町・東町)

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