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ページ番号1010503  更新日 令和3年5月17日

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もんだい

らららのイラスト

広い土地が必要なスーパーマーケットを作るため、市内では、ある工場の跡地がよく利用されました。
何の工場かな?

ヒント

昭和はじめの機織りの写真
昭和はじめの機織り

写真は、昭和はじめごろの「ある工場」の中のようすです。着物を着た人たちが、機械の前で作業をしていますね。各務原では、このような工場が各地にたくさんありました。
手前の女の人の手元では、何が作られているか分かりますか?奥に見えている車輪のようなものもヒントになるかもしれませんね。

こたえ

工事中の国道21号の写真
工事中の国道21号(昭和57年)

「ある工場」とは、「糸」を作る「紡績(ぼうせき)工場」です。
各務原の中でも、特に木曽川に近い稲羽・川島地区では、蚕(かいこ)を育てて絹(きぬ)糸をとる養蚕(ようさん)や、手織機(ておりばた)を使った機織りなど、「糸」や「布」を作る農家が数多くありました。戦後には、市役所の西側に「郡上紡績」、蘇原青雲町に「川島紡績(カワボウ)」、鵜沼第二小学校の南側に「日本毛織(ニッケ)」など、大きな紡績工場が次々と建てられ、糸や布がさかんに作られました。

ところが、1965(昭和40)年ごろになると、海外から安い製品が大量に入ってきたことなどが原因で、各務原市内でも、閉鎖したり縮小したりする紡績工場が多く出てきました。
同じころ、市の人口が急速に増え、大きな道路が開通していく中で、市内に大型のスーパーマーケットが建てられはじめました。広い紡績工場の跡地は、こうしたお店を建てるのにぴったりでした。
みなさんのおじいさん、おばあさんに聞いてみると、近くのスーパーマーケットが紡績工場だったころの話が聞けるかもしれませんよ。

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