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ページ番号1010502  更新日 令和3年5月17日

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もんだい

らららのイラスト

昔の各務原では、あるものの生産がさかんでした。
それは、特に北の山のまわりで多く作られ、今でも鵜沼地区の「須衛(すえ)」という地名に見ることができます。
さて、「あるもの」とは一体なんだろう?

ヒント

天狗谷遺跡の窯跡の写真
天狗谷遺跡の窯跡

写真は、須衛地区にある「天狗谷遺跡(てんぐだにいせき)」です。
地面に細長く穴があいているのが分かりますか?これは、「あるもの」を焼いて作るための「窯(かま)」です。今から1000年以上前の奈良時代や平安時代に使われていました。
今はくずれてしまっていますが、もともとは天井があって、手前でまきを燃やし、その熱で奥に置いた「あるもの」を焼きあげました。
各務原市では、100カ所以上も見つかっているこの窯。さて、いったい何を焼いていたのかな?

こたえ

市内の遺跡で見つかった須恵器の写真
市内の遺跡で見つかった須恵器

この窯では、写真のような土器(どき)が焼かれていました。古墳時代に朝鮮半島から伝わった焼き物で、「須恵器(すえき)」といいます。
それまで作られていた縄文土器(じょうもんどき)や弥生土器(やよいどき)と違って、ロクロを使って形を作り、窯を使って焼かれました。灰色で、かたく作られているのがとくちょうです。

各務原の北部の山のふもとには、こうした須恵器などを焼く窯が数多くあり、奈良時代には一大生産地でした。しかし、平安時代には急に生産が減って、作られなくなっていきます。

「須衛」という地名は、こうした焼き物の産地だったことが元になっています。かつては、「陶器所」と書いて「すえ」と読むこともありました。
須恵器ではありませんが、須衛や蘇原東門町などには、近年まで屋根瓦を焼く工場がありました。しかし、屋根に瓦を使う家が少なくなったことなどにより、現在は1軒も見られなくなってしまいました。

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