関ヶ原、の前に木曽川で合戦!

ページ番号1003752  更新日 令和3年2月12日

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関ヶ原、の前に木曽川で合戦!のイラスト

小屋場島の陣跡写真
小屋場島の陣跡

各務原市の南を流れる木曽川。美濃(みの、現在の岐阜県南部)と尾張(おわり、現在の愛知県西部)の境(さかい)として、しばしば大きな戦いの舞台(ぶたい)となりました。

有名な、1600年9月に起きた「関ヶ原の合戦(せきがはらのかっせん)」。天下をめざし、徳川家康(とくがわいえやす)ひきいる東軍(とうぐん)と、石田三成(いしだみつなり)ひきいる西軍(せいぐん)が激突した、天下分け目の決戦です。そしてその1カ月前、合戦に先立つ戦いが木曽川で行われました。

戦いの舞台は、木曽川の中州(なかす)となっていた川島で、西軍の拠点(きょてん)のひとつである岐阜城(ぎふじょう)をめぐって、東軍と西軍がこの地で激突しました。東軍の池田輝政(いけだてるまさ)や山内一豊(やまのうちかずとよ)ら18,000人の兵は、河田(川島河田町)で木曽川を渡り、小屋場島(こやばじま、現在の川島笠田町の一部)に陣(じん)を置いたと伝わります。池田輝政が陣の旗(はた)を立てたという場所に、現在「小屋場島の陣跡(じんあと)」の碑(ひ)が立っています。

数でまさる東軍は、米野(こめの、現在の笠松町米野)で西軍をやぶり、その勢いで翌日には岐阜城を落としました。そしてこの木曽川と岐阜城での戦いが、その後の関ヶ原での東軍の勝利につながりました。

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河田渡河合戦跡

川島大橋の南のたもと、木曽川文化資料館がある川島会館のそばに、「河田渡河戦跡(こうだとかせんあと)」の解説板が建てられています。すぐ北を流れる木曽川を見ながら、400年前にこの場所で行われた一大決戦を想像してみてはいかがでしょう。
(所在地 松倉町)

事件簿マップ

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