戦時資料2
当館には市民の皆さんから提供していただいた貴重な資料を多数収蔵しています。ただし、収蔵場所が市内に分散しているため、閲覧をご希望の方は事前に当館までご相談ください。
昭和10年代 紙芝居上演箱
自転車の後部の荷台に取り付け、紙芝居の上演に使われた木枠。
昭和15年頃 紙芝居「七つの石」
紙芝居コンクール一等入選作品。貧しくて慰問袋に入れる物がない少年が7度生まれて天皇に忠義を尽くそうという七生報国の精神に基づき、皇居前広場の石7個を送った。それをお守りとして戦った日本軍の話。
昭和15年 紙芝居「明けゆく村」
大政翼賛会宣伝部発行の紙芝居の表紙。常会では、会の始まる前や講話の中で戦意高揚や時局説明に紙芝居がよく使われた。
昭和16年 紙芝居「兄さんの手紙」
戦時物資活用協会指導。戦死した兄の遺志を継ぎ困難にめげず、資源回収に取り組む光子の物語。
昭和16年 紙芝居「進め日の丸」
日本教育紙芝居協会募集当選作品。小学生が書き初めに「進め日の丸」と書き、慰問袋の中に入れて送った。その書き初めを押し立てて敵軍と戦い、勝利をおさめた日本軍の話。
昭和17年 紙芝居「稲葉号の献納」
太平洋戦争が始まると、金属の回収とともに資金を調達して、飛行機、戦車、大砲を軍に献納する運動が行われた。これは、稲葉郡画劇報会が呼びかけた「稲葉号の献納」紙芝居である。
昭和17年 紙芝居「戦う少年隊」
物資不足の中、芋麻(桑の皮同様皮から衣服をつくる)を刈り取り、銃後を守る少年たちの物語。
昭和20年 大型爆弾の破片
昭和20(西暦1945)年6月22日に投下された大型爆弾の破片。この日米軍の爆撃機B29が44機飛来し、飛行場に1トン爆弾など268総トンを投下した。
明治時代 砲弾
明治時代に通称「大砲場」といわれた大砲演習場で、付近の住民が拾った砲弾。現在の航空自衛隊岐阜基地付近。
昭和20年 M69焼夷弾(ナパーム焼夷弾)
一発の親弾が地上700メートルで飛び散り、38発の小型弾が火を吹いて落下するもの。日本の木造家屋を焼き払うことを目的として開発された。
昭和10年代 木銃
旧制中学校、専門学校の銃剣術で使われていた。
昭和16年頃 飛燕(キ-61)の主輪
川崎航空機岐阜工場で組み立てられていた戦闘機「飛燕」(キ-61)の主輪。
昭和10年代 日章旗の寄せ書き
武運長久を祈った家族、親戚、職場の人々の署名があり、お守りとして職場へ持っていった。
昭和10年代 八紘一宇の額
岐阜女子師範学校生が制作したもの。神武天皇が大和橿原(かしはら)の地に都を定めた詔の中にこの言葉がある。祖先の神から国を授けられたことに感謝し、八紘(あめのした)をおおって宇(家)にしたい、つまり天下を一つにしたいという意味があった。
昭和10年代 金属代用品の陶器
金属回収令によって金属が供出されると、その代用品として陶器が使われた。左上は文鎮、右上は模擬手榴弾 、左下は学生服ボタン、右下はキセルである。
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