戦争遺跡
陸軍飛行場など軍事施設をかかえていた各務原は、県内で唯一大型爆弾による攻撃を受けました。今もなお各地で「戦争の爪痕」を見ることができます。見学の際は、土地所有者の了解を得てマナーをよく守るとともに、安全には十分ご留意ください。
那加地区
空襲で焼けたキササゲ
所在地:各務原市那加門前町3丁目 市民公園東駐車場内 入場ゲート南すぐ
樹高約10メートル、根回り3.5メートル。この場所はもともと青年学校教員養成所でしたが、昭和20(西暦1945)年当時は、航空廠が校舎を借り受け、工場として使用していました。この建物が、昭和20年7月12日の夜、B29による焼夷弾攻撃を受け、校舎の西側にあったキササゲの樹皮が焼けました。樹皮には焼けた跡が残りましたが、このキササゲは毎年青い葉を繁らせて、今もなお生き続けています。
手作りの空襲記念碑
所在地:各務原市那加本町 秋葉神社内
碑には「那加町戦災思い出の日 昭和二十年六月二十二日午前九時四十分」と刻まれ、側面には「今尾義祐之立」とあります。昭和20(西暦1945)年6月22日の朝9時過ぎ、那加駅前の市街地に十数個の大型爆弾が投下され、那加町全体で48名の方が亡くなりました。この碑は、那加駅前の自宅で空襲に遭った今尾義祐氏が、犠牲者への思いをこめて、コツコツと刻んだ自作の碑です。
蘇原地区
弾痕が残る航空廠のコンクリート塀
所在地:各務原市蘇原三柿野町1丁目 国道21号線跨線橋下南辺り(航空自衛隊岐阜基地内)
昭和20(西暦1945)年6月22日の大空襲では、1トン爆弾が投下され、航空廠や川崎航空機工業などが徹底的に破壊されました。空襲の後、航空廠のコンクリート塀には無数の弾痕があったといいます。塀の老朽化の為、一部を残し撤去されました。
鵜沼地区
誘導路トンネル
所在地:各務原市鵜沼朝日町1丁目
戦時中、三ツ池と前渡を結ぶ県道の上に、各務原中飛行場と東飛行場とをつなぐ誘導路を建設するため、このトンネルが作られました。このトンネルの上が、飛行機の誘導路となっていました。
稲羽地区
空襲の慰霊碑
所在地:各務原市神置町3丁目 神置公民館の南
昭和20年7月12日の深夜から13日の未明にかけて、各務原ではB29による焼夷弾攻撃を受けました。この日の天候は雨でしたが、多くの地区で家屋が全焼、半焼するなどの被害を出しました。
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